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Chronos日本版

【第2特集】 2006年3月号(No.003) ルノー・エ・パピを巣立った時計師たち -前編-

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ルノー・エ・パピを巣立った時計師たち

受け継がれる時計作りの遺伝子

奥田高文:写真/名畑政治:取材・文

今や独立時計師抜きに時計界の動向を語るのは不可能である。そして、有能な時計師の多くが、なぜか複雑時計専門工房ルノー・エ・パピの出身なのだ。ある者は独立時計師としてブランドを興し、ある者は大メゾンにおいて特殊機構の開発に従事する。その多彩な活躍ぶりをこの目で確かめるため、我々は同工房を巣立った6人の時計師の活動拠点、ドイツ、スイスへと飛び立った。

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ル・ロックルの町の入り口にある工場地帯に工房を構えるルノー・エ・パピ。付近にはスイス公式クロノメーター検定所(C.O.S.C.)や有名メーカーにケースを供給するサプライヤーなど、スイス時計界を支えるファクトリーが多数集まる。

時計の歴史を書き換えたルノー・エ・パピの活動

 近年、時計を紹介する一般向けの雑誌記事にも頻繁に登場する言葉に「マニュファクチュール」がある。その意味は「自社一貫生産メーカー」。たしかに、自社内ですべてのパーツを生産できるマニュファクチュールは特別な存在だ。だが、現実にはダイヤルやストラップまで自社内で生産していたら効率が悪い。したがって、独特のノウハウと設備を要するヒゲゼンマイをはじめ、針、ダイアルなどは、マニュファクチュールであってもサプライヤー(部品製造メーカー)から仕入れるのが通常だ。そしてもうひとつ、相応の実力を持つマニュファクチュールでも他社に頼る部分がある。それが複雑時計の開発と製造である。

 この分野においては昔からマニュファクチュールを支える存在としていくつかの工房があった。たとえばパテック フィリップにクロノグラフのエボーシュを供給したヴィクトラン・ピゲやレマニア、ブレゲやパテックに複雑時計エボーシュを供給したルイ・エリゼ・ピゲ(現在のフレデリック・ピゲ)、ヤーゲンセン・ファミリーにエボーシュを供給したグランジャン、さらにイギリスやドイツのメーカーにも複雑時計エボーシュを販売したオーデマ ピゲや1940年代まで自社ブランドで時計をほとんど販売しなかったピアジェ、幅広いラインナップとサイズで各社が採用したジャガー・ルクルトも、かつては陰の存在であった。

 このような伝統的な工房に加え、近年はブランド側が協力関係にあることを、むしろアピールする工房が次々登場している。たとえばコルムやアントワーヌ・プレジウソなどが採用するトゥールビヨン・エボーシュを製作するクリストフ・クラーレ、ブライトリングやジラール・ペルゴのクロノグラフ・モジュールを担当するデュボア・デプラ、アーノルド&サンやグラハムなどに独自の改造を施したムーブメントを供給するラ・ジュー・ペレ(旧ジャケ)、レトログラード・モジュールのスペシャリストとして知られるアジェノー、汎用ムーブメントのブラッシュアップを得意とするソプロード、パルミジャーニ・フルリエのムーブメント製造部門として活動しつつ他社にもムーブメントを供給するヴォシェ・マニュファクチュール・フルリエ、超有名工房を辞した凄腕時計師ら3人により設立されたBNBなどがある。

 このような新進工房の中にあって、頭ひとつ抜きんでた存在と自他共に認めるのが、ル・ロックルに工房を構えるルノー・エ・パピである。同社の設立は1986年。オーデマ ピゲに働くドミニク・ルノーとジウリオ・パピのふたりによって複雑時計専門工房としてスタートした。その時、彼らはまだ20代前半。早熟の天才は、いつの世にも彗星の如く現れる。

 やがて90年代に入ると、彼らの活動は本格化する。年表に示したとおり、有能な時計師たちが次々集まってくるのも、これ以降。そして1992年、ルノー・エ・パピはオーデマ ピゲのジャンピングアワー・ミニッツリピーターを開発する。と同時にオーデマ ピゲはルノー・エ・パピの筆頭株主となり、さらに関係を深めながら、パピをオーデマ ピゲの複雑機構開発部門として存分に活躍させるという体制を構築していくのである。

つづきは『クロノス日本版』2006年3月号(No.003)でお楽しみ下さい。


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