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Chronos日本版

【第2特集】 2007年11月号(No.013) TOURBILLON BOOK

ETA 2892A2

TOURBILLON BOOK

トゥールビヨンと精度、永遠の命題に挑む者たち

吉江正倫:写真/広田雅将:文/鈴木裕之(本誌):構成

Chapter1:トゥールビヨン、そのメリットとデメリット
Chapter2:トゥールビヨン黎明期の新しい試み
Chapter3:腕時計への転用と衰退
Chapter4:トゥールビヨン復活期のマスターピース
Chapter5:爛熟の時代、そして精度の追求へ
Chapter6:多様化、複雑化の傾向は何を残すのか?

オメガ 天文台クロノメータートゥールビヨン
■オメガ 天文台クロノメータートゥールビヨン
トゥールビヨンの理論家として著名なマーセル・ブュイユミエルが設計し、30mmキャリバーのプロトタイプを設計したマセイ・クラウドが製造したセブンミニッツハーフトゥールビヨン。1947 年に12個製造され、うち6 個が天文台コンクールに出品された。この個体は1950 年のジュネーブコンクールで38 個中10 位となったもの。Cal.30 I。手巻き。1 万8000 振動/時。25 石。No.10595938。

Chapter 3 Diversion to Wrist Watches, and Fading

腕時計への転用と衰退 1930~1950


 腕時計の普及とキャリッジの小型化は、やがて腕時計トゥールビヨンを生むことになる。1930年、フランスのリップが世界初の腕時計トゥールビヨンを発表。47 年にはオメガ、翌48 年にはパテック フィリップが腕時計トゥールビヨンを開発している。両社の狙いは腕時計のF1 レース、天文台コンクールで圧倒的な成績を収めることであった。世界でもっとも優れた技術陣と時計師を擁していた両社のトゥールビヨンには、理論通りの高精度が期待された。しかし今まで同様、精度は芳しくなかった。


 12個製作されたオメガのトゥールビヨンのひとつは、47年のヌーシャテルコンテストで37個中31位、48年にはジュネーブで2位を獲得するが、49 年のジュネーブでは14 位、50 年は38 個中37位に低迷した。名調整師アルフレット・ヤッカールをしても、自社のごくスタンダードな30mmキャリバーにすら勝てなかったのである。時計史家のフリッツ・フォン・オスターハウゼンが言うように、年々成績が悪くなっていったため、52年をもってオメガは、トゥールビヨンの出品を取り下げることになる。


 パテック フィリップも似たようなものだった。ジュネーブ時計学校教授のアンドレ・ボナールが設計し、アンドレ・ヅィーバッハが調整した2万1600振動/時のワンミニッツトゥールビヨンは、当時最良のスペックを誇っていた。しかし49年、51年、53年と出品したが、10位以内に入賞したことは一度もなかった。後にトゥールビヨンの一種であるカルーセルが天文台コンクールに投入されたが、61~64年の4年間で、入賞は一度だけ(5位)だった。


 ここに至って、トゥールビヨンの不利は誰の目にも明らかになった。天文台コンクールからは腕時計トゥールビヨンが消え、かわりに大型テンプのゼニス135やプゾー260、後には高振動化したムーブメント(セイコーなど)が上位を競い合うようになる。

続きは『クロノス日本版』2007年11月号(No.013)でお楽しみ下さい。

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