【第1特集】 2008年3月号(No.015)トランスパレントの功罪
The Positive and Negative
Aspects of Transparent Watches
トランスパレントの功罪
古浦敏行、奥田高文、吉江正倫:写真/広田雅将、高木教雄:取材・文
文字盤や裏蓋に透過素材を用いてムーブメントを見せる「トランスパレント」。人々の耳目をムーブメントに集め、機械式時計の復興を促すきっかけとなったが、同時に多くの課題も投げかけた。その「再発見」から約四半世紀。トランスパレントが当然のように普及した今だからこそ、その「功罪」を明らかにする
トランスパレント黎明期その誕生の起源を探る
18世紀から19世紀にかけて、フェルナン・ベルトゥやウルバン・ヤーゲンセンなど、多くの時計師たちが、いわゆる「時計書」を上梓した。これらの理論書には、多岐にわたって時計の作り方が書かれているが、筆者の知る限り、トランスパレントにページを割いたものは一冊もない。彼らがトランスパレントを嫌った最大の理由は、油の劣化だったようだ。当時の潤滑油は植物性か動物性のため、わずか1年で劣化した。それをわざわざ太陽光(紫外線)にさらすことは、優れた時計師たちにとって耐え難いことだったに違いない。例外として、この時代のアブラアン-ルイ・ブレゲは通称「マリー・アントワネット」にトランスパレント文字盤を採用した。しかし、油の劣化を嫌ったブレゲが喜んで採用したかは疑わしい。ブレゲに造詣が深いフランソワ-ポール・ジュルヌ氏は「あくまで技術的にここまでできるというデモンストレーションのためだ」と語る。
トランスパレントを好んだのは、主に中国(清朝)とアメリカ、そして一部の好事家に限られた。17世紀に中国の支配者となった満州族は、豪奢な装飾を好んだ。そのため清朝中期以降、明朝期に成立した彫刻技術に加えて、無線七宝や螺鈿細工などの装飾技法が発展する。彼らの美意識が、ムーブメントにいっそうの美を望んだことは間違いなく、スイス・フルリエのボヴェは懐中時計のムーブメントをガラス越しに見せることで、満州人の嗜好を刺激したのだ。
もちろん、ヨーロッパにも愛好家はいたようだ。ジュネーブ時計・七宝博物館が所蔵するローセル・ボッテ社製のクォーターリピーター(1860年代)は、文字盤とケースバックにガラスを用いて、ムーブメントを見せたごく初期の試みである。また、アドルフ・ニコルがクロノグラフを発明して以降(1844年)、ジュラ渓谷の時計メーカーは、いくつかの複雑時計にトランスパレントバックを採用した。
つづきは『クロノス日本版』2008年3月号(No.015)でお楽しみ下さい。
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